はじめに
刑務所や少年院から出てきた人たちは、希望と不安の中で人生の再スタートを切ります。
自分ではもう二度と同じ失敗を繰り返さないと心に誓って社会に戻ってきても、いざ生活を始めてみると、社会の荒波の中で時に犯罪前歴者として白い目で見られ、ひとり悪戦苦闘を強いられることが多くあります。
こうした人たちの中には頼るべき親族などがいないか、いても引き受けを拒否される例が少なくありません。
行き場を失い、当座の衣食住すらままならないこのような人たちを保護し、社会復帰を援助することは、犯罪、再非行を防いで社会の安全を守ることにもなるのです。
このような人たちに進んで手を差し伸べ、社会のかけ橋となって「生きる勇気」を与える施設…
それが更生保護施設なのです。
みどころ
春台井戸
久城春台(通称春台さん 正徳5年 1715年没)は尾張国の医者の家柄で、父、宗達は加藤清正に仕えました。
春台さんは松江藩主の御典医としてこの地に屋敷を構え、名医として広く知られ、その人柄は峻峭剛毅(しゅんしょうごうき︓気高く優れ、意思が強く不屈であること)医学の奥義を極めた人でした。
患者の声を聞き、顔色を見てたちまち病気を見抜き、治効は神の如く、扁倉( 扁鵲( へんじゃく) と倉公( そうこう)・共に中国の春秋戦国時代の名医) の生まれ変わりと賞されました。また、書・詩歌にも大変優れた人でした。
歴代のお殿様に仕え、江戸までお供することも度々で、現代に例えれば「猛烈サラリーマン・マルチ人間」であったようです。
自分の死後は屋敷の石を用いて水盤を造って標識とし、井戸水を供えて病気平癒を祈ればどんな難病も必ず治ると高弟の田代泰安に遺言し、桐岳寺に葬られました。